長野市で定期的に開催されている
長野落語会に昨夜足を運んだ。
お目当ては名跡を継がれた金原亭馬生師匠。
古典落語の代表作である
『井戸の茶碗』を演じられる。
好きな噺だ。
うれしい。
古典落語の代表作『井戸の茶碗』は
それまであまり注目されていなかった噺を
昭和の大名人・古今亭志ん生が練り上げ、
名作とまでに昇華した噺です。
ですので、古今亭一門が受け継ぐ財産であり、一門の代表作なのです。
(そのほかの代表作に『火炎太鼓』がある)
父・古今亭志ん生
長男・金原亭馬生(先代)
次男・古今亭志ん朝
と引き継がれてきた噺なのです。
昨日の金原亭馬生師匠は、
古今亭志ん生の長男であった先代の金原亭馬生に弟子入りし、
その名跡を引き継いだ噺家ということになります。
昨夜の金原亭馬生師匠の『井戸の茶碗』ももちろん良かったですが、
古今亭志ん朝師匠『井戸の茶碗』も大好きです。
http://www.youtube.com/watch?v=8EbuhkZmn4g
(志ん生の『井戸の茶碗』だって大好きだが、youtubeにあらず)
(立川志の輔の『井戸の茶碗』だって大大好きだが、youtubeにあらず)
屑屋で正直者の清兵衛、
実直な若い侍・高木佐久左衛門、
清廉で頑固な浪人・千代田卜斎。
彼らの人物像が昨夜の金原亭馬生師匠とまた違います。
また語り口のテンポや、江戸弁ならではの口調、リズムも違って響きます。
これはどちらが優れているというわけではなく、
落語はジャズやクラッシックと同じように演者がテクストとどう向かい合うか、
演者の解釈やプレイによって響き方が違うところが面白いと僕は思うのです。
落語はやっぱり面白いなあ。
追記)
youtubeをのぞいていたら、
昭和の大名人・古今亭志ん生の代表作『火焔太鼓』を見つけました。
声は本人で、動画はアニメーション(作画は山藤章二!)だから
気軽に観れて楽しいです。
気が向いた方はぜひご覧ください。
ぼくはこの噺が大好きで大好きで...
http://www.youtube.com/watch?v=umO41GkdvU0&feature=related

『今夜も落語で眠りたい』
文藝春秋■中野 翠
僕の落語初体験は市立図書館だった。
まったく知識のないままテープを借りまくって、
なんて面白いんだと思ったのが志ん生と文楽。
昭和の大名人にぐいぐいと手を引かれるまま、
どんどん落語が好きになっていった。
「寄席にはなかなか行けないけれど、CDでなら毎日聴いてる」
そういう落語ファンはきっと多いはずで(僕もそうだ)、
著者である中野翠は正に「そういう落語ファン」だ。
落語は寄席に限るという定説に頷きながらも、家で楽しむ落語もまた骨まで愛している。
特に、落語に開眼してから毎日のようにテープを買い漁る姿といい、
落語を聴きながら眠る日々といい、その感覚には全く同感。
落語に対する彼女の素直な愛し方が、読んでいてとても心地いい。
ああ、帰り道の車は落語を聴こう。

『志ん生の右手』
河出書房新社■矢野 誠一
落語の第一人者である著者の随筆集。
昭和40年代から平成までさまざまな雑誌、
新聞に書いた随筆が丁寧にまとめられている。
なかでも、随筆「藝一筋に生きる道」は志ん生と文楽の比較論として
思わず膝を打つほどの出来映え。
精巧無比な藝であった文楽を楷書に、
天衣無縫であった志ん生を草書に例えた後、
高座で絶句した文楽は落語から一切の手を引き、
老いで高座に上がれなくなった志ん生は死ぬまで稽古を続けたという対比を鮮やかに描く。
読後、立ち並ぶふたつの高峰が胸に浮かぶ。
藝は生き様であった時代を一心に生きた両名人の
高嶺が読み手の胸に表れるのだろう。

『志ん生一代』
学陽書房■結城 昌治
天衣無縫、融通無碍、自由闊達。
これら四字熟語は志ん生にこそ相応しい。
だが、そんな志ん生が売れだしたのは50歳近くからであって、
40歳過ぎまでは無名の噺家だった。
この不世出の天才落語家が、
厄年手前までは家賃も払えない貧乏神で、
醤油の量売りや保険の勧誘を試していたことに驚く。
いいかげんでぞろっぺいな志ん生が保険の勧誘なんて無理に決まっているのだ。
そんな志ん生も、落語にだけは生涯通して真摯に向き合ったことが
この本からはひしひしと伝わってくる。
借金から逃げ回ったり、寄席から離れてどん底生活を送ったりと、
うまくいかない日々がほとんどの生涯だが、
読後感は瑞々しい青春小説を読んだときのようだ。
ただ、藝の追求を一心に駆け抜けた志ん生の、
鮮やかな軌跡がそこにはあるからだろう。

志ん生讃江
河出書房新社●矢野誠一 編
とても、良い。
1953年の徳川夢声に始まり、2005年の平岡正明に至る
志ん生への評、対談、小文を矢野誠一が編んだ1冊。
安藤鶴夫、江國滋、山口瞳、山田洋次、大西信行、色川武大、興津要、山本夏彦ほか総勢27名による志ん生への思い。
彼らは皆、一様に志ん生を愛している。
僕は波のように押し寄せる彼らのラブレターを読みながら、
編者である矢野誠一の視線をじわじわと実感する。
「こんなにんげんはもう出ない」と思いつつ、
それでも志ん生という存在があったことを
何とかして形に残したいという編者の思い。
それは愛だ。
まぎれもなく。
編書という形式をとった矢野誠一の愛の形なのだ。
年に1度、このような尊敬の念を抱ける本と出会う。