
ライブを考える。
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わくわくしながら |
くるりのライブに松本へ行った。
まつもと市民芸術館の主ホール。
ここでのライブは2年前の東京スカパラダイスオーケストラ以来
2度目だ。
くるりファンクラブの友人が最前列の席を確保してくれた。
感謝。
岸田が2m前で立っている。
佐藤君は1m前と言ってよい。
1000人以上収容できる客席はほぼ満員。
くるりの集客力の強さを実感する。
期待と興奮のざわめきのなか、
ライブが始まる。
そして、魂は震えたか?
震えなかったのですね、これが。
これはきっとくるりが悪いのではない。
岸田は誠意をこめて演奏していたし、
メンバーはバンドたろうと努力していた。
とても。
でも、僕は誠意を観たいのではなく、努力を味わいたいのではない。
狂気にふれたいのだ。
狂喜に飲み込まれたいのだ。
岸田特有の「構築しきったのちに、叫びながら破壊する」音楽。
抗えない理知と衝動の渦。
諦観から衝動への爆発。
僕が欲しいのはそういった根源的なものだ。
これは、演劇、バレエ、クラシック、オペラをやるべき大ホールで
ロックをするべきではないという話なのだろうか?
そうではない。
狂気や狂喜に舞台の大小は関係ないからだ。
ライブが狂気を生む装置たりえず、
演奏会の場に終始してしまうときは、
オーディエンスが何を求めているかの違いなのだろうか?
1000人の観客たちは押し並べて満足しているように見えた。
彼らは「くるりを見た」という一点で満足していたのだろうか。
それは僕の否定するべき点ではないが、
この数カ月、ライブでの「負け感」が重なってくるとさすがに落ち込んでくる。
GOING UNDER GROUND(CLUB JUNK BOX) 、
DOPING PANDA(CLUB JUNK BOX) 、
そして、くるり(まつもと市民芸術館)。
この6ヶ月で3連敗だ。
バンド活動をやっている会社の先輩は
「最高のライブなんてそうそう巡り合えるもんじゃない」と言い、
まったくその通りだろうとは思うのだが、
くやしいものはくやしい。
釈然としないままに走らせる帰路の車内で流れるくるりの最新アルバムが、
そう悪くなく、やっぱりいい音楽だと思うのがまたくやしいのだ。
僕はわがままか?










