開発マトリョーシカ

コミュ障について考えてみた

先々月くらいだったでしょうか。長野手話通訳問題研究会の方から「集まろう若者たち ~手話でしゃべり場2017~」というイベントを紹介されて、
「手話の集まりは無理ですよ。」
と、一度は断ったのですが、
「手話ができなくても大丈夫ですよ。」
と言われたので、「じゃあ、参加してみようかな」と、軽い気持ちで参加してみました。

でも、「大丈夫」というのは、「そこに手話通訳士がいるから」という意味だったのでしょうね。確かに何人も手話通訳士はいたのですが、それで適切なコミュニケーションが図られるわけではないのだと知りました。

例えば、空き時間での雑談。一人の参加者のためにそんなところまで通訳してくれる人はいないので、少し離れたところで、話している様子を眺めていました。
手話はわかりやすいものだから「見ているうちに少しくらいわかったりしないかな」と、思ったのですが、それも無理でした。まったくわかりません。手話にも、話し言葉と書き言葉のようなものがあるのかもしれません。「手話に慣れている人同士だから、ちょっとくらい省略したり雑な動作にしたりしても伝わるのかもしれない」なんてことを思いながら眺めていました。

念のため言っておきますが、この状況が生まれたことについて、誰の責任でもありません。ちょっとしたすれ違いでコミュニケーションがうまくいかなくなるなんて、日常でもよくあることです。すべての人が会話に参加できている場なんて、なかなかないでしょう。
話に参加できない人は、何かしらの弱みや事情を持っているのだと思います。
・使われている言語を理解できない
・使われている言語が理解できたとしても、ときどき話に登場する専門用語を理解できない
・用語がわかったとしても、話がマニアックすぎて(もしくはローカルすぎて)ついていけない
・話についていけたとしても、その話題については自分の意見がないので話に入れない
・話に入れたとしても、その話題に興味が持てなくて(もしくは嫌悪感があって)参加する気になれない
・参加する気になれたとしても、なんとなく遠慮してしまって(もしくは話のペースが合わなくて)話に入れない

理由はともあれ、「私、今、コミュ障だな」と感じたわけです。

その夜の交流会も、みんなの雑談を眺めているだけで終わらないかと、ちょっと不安がありました。人の話を見ているのもそれほど嫌ではないのですが、そればかりだとさすがに「何しに来たんだろう」と思ってしまいそうで。

でも、そんな心配は無用だったようです。交流会は、イベントスタッフの人も一緒に参加してくれたので、話に入ることはできました。
......しかし、先述の通り、話に入ることができることとコミュニケーションできることは別です。

さあ、どんな話をしよう。うっかりデリケートな話題に触れて、嫌な思いをされるのは避けたい。しかし、初対面の人ばかりなので、最初は質問するしかない。

「どうして手話ができないのに参加しようと思ったんですか?」
どんな話題を振ろうかと考えていたら、質問されました。度胸ある行動だと思ったようで、単純に興味を持ってくれたようです。
......軽い気持ちだったんですけどね。

興味からは、また別の興味も生まれます。
「手話ができない人が参加することは珍しいんですか?」

そんなふうにして、会話が生まれていきました。やはり、コミュニケーションのために必要なのは、相手への興味なのだと思います。
逆に言うと、興味のない場だと、コミュ障というものが生まれるのだと思います。だから、別にコミュ障だって悪くないと思うんですよね。どうしても興味を持てないのに無理に会話に参加したって、負担になるだけですし。しかし、興味があっても会話に参加できないことだってあるわけです。かといって、無理やり話に割って入って「私にもわかるように言ってくれ」と主張したら、嫌な思いをさせてしまいます。きっと、私が感じたように、我慢していることもあるだろうな。遠慮していることもあるだろうな。そんなことを思いました。

さて、私の仕事は、ウェブサイトを作ることです。適切な情報を適切に提供することです。でも「情報を提供することで満足してはいけない」という思いがあります。
この情報は、ちゃんと役割を果たしてくれているだろうか。誰かの課題を解決してくれているだろうか。

耳の不自由な人に適切に情報を提供することは、アクセシビリティガイドライン(バリヤーを取り除くためのガイドライン)を遵守することで達成できると勘違いしてはいけません。余計な負担をかけないようにするには、どうするべきか。その人を尊重するには、何が必要か。考えなければならないことはたくさんあります。

たとえば、カスタマージャーニーマップ(顧客の行動と体験を可視化するためのツール)で障害者をペルソナ(ユーザーモデル)にすることはありますか。

この問いに適切に答えられるようなウェブ制作者は、国内にどれだけいるでしょうか。少なくとも私は、「マイノリティーだから除外する」なんていうつまらない答えではなく、最適解を出せるようなウェブ制作者でありたいと思っています。(それくらいのことができなければ多様性を語る資格はないという自戒を込めています。)

あなたなら、どんな答えを用意しますか?