【コラム8】せっかくなので、選挙で使われた「Webの力」について考えてみる

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この秋、国政選挙や話題の地方選挙が続き、海外でも世界中に影響を及ぼすような大きな選挙もあって、そのいづれでもWebが注目されました。
今までも選挙のたびにWebはニュースで取り上げられてはきましたが「Web(特にSNS)を使って若年層を取り込んだのが勝因」といった、結果に強く結びついたような報道のされ方が今年は際立っていました。
あくまでも報道から推測する範囲ですが、ある陣営が選挙でWebを上手に活用した結果、次のようなことが起こったと言えそうです。
- 若年層の支持が伸びた
- どちらかというと選挙に無関心だった人を投票に向かわせた
※フェイクもWebの特性で、実際に多発したようですが、ここでは話が複雑になるので一旦脇においておきましょう。
一方でWebを活用できなかったために落選した陣営は、今までと違った悔しさを感じたことでしょう。「Webの力」を見せつけられたといった側面は確かにあります。とはいえ世の中のあらゆる活動はWebを活用しなければもう成り立たない、などという短絡的な話をここでするつもりはありません。
コミュニケーションや情報発信をシンプルに「何を」「どう伝えるか」と二つに分解して考えてみます。
「何を」の中身が立派でも、それがちゃんと伝わらなければ最初から何もないことと同じになってしまったり曲解されてしまう、ということは現実にはあり得ます。
だからといって「何を」はどうでもよくて「どう伝えるか」だけをうまくやればよいのだ、とは考えたくはありません。それは目指すべき人と人とのコミュニケーションのあり方ではないと思うからです。
ですから選挙においても、単にWebの使い方の上手下手が結果に結びついたという解釈は少しズレているのではないかと思います。「何を」を冷静に分解して、Webで伝わりやすい(または拡散されやすい)事柄とそうでない事柄がありそうだということや、「何を」がどのように整理されていたのか、などをちゃんと検証してみる必要があるのではないでしょうか。
企業活動も含めた通常の社会活動はゴールのないマラソンのようなもので、短期間でムーブメントを起こして白黒つける選挙活動と明らかに違うのですからなおさらです。「Webの力」は確認されましたが、発信側も受信側もその正体をもっと見極める必要があるでしょう。
執筆者:JBN塚原