【コラム9】「書くネタがない」というのは、どんな状態か

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ブログなどの定期的な情報発信において「何を書いていいのかわからない」「ネタを見つけるのに苦労する」のでどうしたらよいか、という質問を時々受けることがあります。お客様企業の定期的な情報発信を担当する皆さんの多くがこの悩みを持っているようですね。
「ネタを見つける」ための具体的なアドバイスをいくつか提示することはできますが、おそらくほとんどの場合においてそれは意味がないと思われます。もとより情報発信にあたって義務感や責任感だけがモチベーションとなっている場合はどうやっても長続きはしないので、まずはその状態を解消することを考える必要があります。
私たちが直接目にしてきた「ネタ枯れ」のほとんどは次のようなパターンに当てはまります。
- サイトに訪れてもらうにはコンスタントな記事の掲載が必要だ
↓ - 定期的なコンテンツ制作のために担当者を決めよう(それは君だ)
↓ - 穴をあけないように頑張って記事作らなくっちゃ
↓ - いくつか作ったがネタが尽きてきた
↓ - 何かいいネタないかな〜
↓ - 行き詰まり
このプロセスに違和感を感じた方は、もう出口がすぐそこです。
店長ブログのような柔らかいものから業界のノウハウ集などの硬派の情報発信まで、定期的に発信される情報スペースはすべてユーザーの利益のために存在するはずです。あるテーマでユーザーのためになる情報が3つしかないのであれば定期掲載を止めればそれでよく(つまり続ける意味がない)、悩む必要はないのです。
どんなジャンルにおいてもユーザーの悩みは人それぞれですし、限りがありません。たくさんのユーザーの、情報に対する欲求を整理し、優先順位や時節によって発信のコントロールをするのが情報の定期発信のあるべき姿でそれが存在意義です。この作業は組織的に行う方がよいので、担当者だけが悩む必要はありません。(それでも情報をどのように表現して発信するかの課題は残りますが、それはまた別の話です)ここに立ち戻ってブログなどの「存在意義」から考え直してみると先が見えてくるはずです。
と、以上が本質論なのですが、一つだけ各論からアドバイスをいたしましょう。
SNSやブログでの個人的な情報発信を除くと、本来は「ネタ」という概念は存在しません。あるのは「何の」「何を」書くのかという構造です。
薔薇(ネタ)を描いただけでは作品にはなりません。薔薇(モチーフ)の美しさ(テーマ)を描いてこそ作品になるのです(あるいは薔薇の危険性とか色々考えられます)。「何かいいネタないかな〜」では霧の中から出られませんが、2つの要素で考え始めた時霧が晴れてくるのを感じられるはずです。
執筆者:JBN塚原